COLUMN コラム
桃の節句
3.3
三月の声を聴くと、女子でもないのにお雛様に心惹かれる。お雛様と言えば名古屋の徳川美術館。例年この時期に「尾張徳川家のひな祭り」と銘を打った特別展が催行される。とにもかくにも駆けつけ、数多くの雛飾りに一目会いたい。そう思うのは、春から遠く晩秋に身を置くこの身を、少しでもときめかせたいという思いからと冷やかしの声が聞こえる気もするが、そうした艶っぽい話ではない。お目当ては、雛人形ではなく雛飾りにある。お籠から源氏物語が引き出しから顔を出す小箪笥等。お雛様が用いられる数々のお道具。それらの全てに究極の匠の技が垣間見える超絶技巧。どうやって漆蒔絵の細密な線を描いたのか、どのように組み立てたのかを想像するだけで、日本人で良かったと、感服、感動する。権力の中枢にあって、豪華絢爛な雛飾りを誂えることが出来ても、親が子を思う秘められた思いに触れるのもまた楽しい。
それにしても五節句の一つ、桃の節句に何故「雛」という言葉が「祭り」に冠されているのであろうか。ものの本によれば、平安貴族の女の子達は「ひいな遊び」と称して紙人形を作るなどして日頃から遊んだそうだ。つまり雛とは完成していない成長途上の様子の表現のようだ。確かに鳥も卵から雛がかえるという。
お内裏様と言われるまで成長して迄もなお、年に一度、お道具に触れればこそ、未熟な自分と親のありがたさに気付く機会が桃の節句ひな祭りであるのかもしれない。
造園の専門家として京都の文化を眺めると、相対する二つの美が複雑に絡み合う。